増田兄弟活版所デジタルアーカイブス「増田兄弟活版所」は明治から大正にかけて広島随一、大阪以西 屈指の大活版印刷所として栄えておりました。当時から多くの文選工を抱え、植字部、校正部などがあり、その高い技術により、この時代では珍しいページ数が多い書籍や、カラー印刷の業務を承っておりました。

「増田兄弟活版所 デジタルアーカイブ」では「増田兄弟活版所」で文選、植字、印刷、製本まで行った、約100年前の貴重な書籍を全ページ電子ブックで閲覧いただけます。

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廣島市史 第二巻


広島市史 第2巻

廣島市史 第二巻

廣島市史 第三巻


広島市史 第3巻

廣島市史 第三巻

  • タイトル: 廣島市史  第三巻
  • 著 者 : 広島市 編
  • 出版者 : 広島市
  • 発行日 : 1923年(大正12年)12月5日
  • 識別子 : http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965810
  • 概 要 : 第2巻に続いて寛政11年(1799)~慶應3年(1867年)の、幕末を迎える浅野氏の治世について書かれている。

廣島市史 社寺誌


広島市史 社寺誌

廣島市史 社寺誌

  • タイトル: 廣島市史 社寺誌
  • 著 者 : 広島市 編
  • 出版者 : 広島市
  • 発行日 : 1924年(大正13年)9月20日
  • 識別子 : http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965812
  • 概 要 : 廣島市史 社寺誌では第一項で明治時代の広島市内 十七の神社を、第二項では六宗派の仏寺(佛寺)のほか、広島に関係深い市外の寺院等を解説している。
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    国泰寺の大樟樹(くすのき)

    「第一 神社」の項は、明治維新後に開始された「近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)」にならって制作されており、第一章から第四章までを縣社郷社村社無格社と社格と呼ばれる分類で章が構成されている。 さらに、それぞれの分類に属する神社については非常に詳細の記載があり、神社の歴史だけでなく神社を構成する建造物(拝殿、本殿、鳥居、狛犬等)の実寸や、建造物ごとの建立日などの記載もある。 第五章では現在の「広島護国神社」である「官祭廣島招魂社」についても詳細な解説がされている。

    「第二 佛寺」の項では六宗派を章で分類し、明治時代の写真、歴代の住職の名、寺院内にある建造物ごとの歴史など仏寺別に解説されている。 「国泰寺」を解説しているページでは、現在は枯れてしまったが樹齢300年の国の天然記念物指定だった「国泰寺の大樟樹(くすのき)」の当時の貴重な写真も見ることができる。

廣島市史 附圖


広島市史 附図

廣島市史 附圖

  • タイトル: 廣島市史 附圖
  • 著 者 : 広島市 編
  • 出版者 : 広島市
  • 発行日 : 1924年(大正13年)12月30日
  • 識別子 : http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965813
  • 概 要 : 廣島市誌 附圖(附図)は、廣島市に関係する地図・図表を主として掲載しており、毛利氏時代の広島城下の絵図から始まり、明治10年(1877年)の広島市街地の地図まで時代を追って掲載している。主に以下の年代の広島市の附図(絵図)が掲載されている。 

    第一 毛利氏時代 廣島城下絵圖 毛利氏時代の広島城下町を詳細に描いた絵図である。原図を写した絵図だと思われるが、この写しの作者と時期については絵図下部に「嘉永七年甲辰孟夏初七寫之 三丘 江田藏 書」と記載がある。これは和暦 嘉永7年、西暦で言うと1854年、干支日が甲辰の日、孟夏(もうか)とは旧暦で言うと4月で、現在では5-6月にあたり、初七というのは月初めの7日ということである。これにより、この絵図は、「三丘 江田藏氏が、西暦1854年5月か6月の7日に写(寫)しを完成させた絵図」ということがわかる。この絵図には当時の屋敷配置など広島城下の様子が詳細に描かれており、毛利氏時代の本丸周辺には毛利元就三男で、毛利水軍の指揮官 「小早川隆景」や毛利元就の七男 「天野元政」などの屋敷があることが絵図からみることができる。

    第二 寛永年間  廣島城下絵圖 寛永年間とは「寛永年代の間」という意味である。この絵図は寛永年代(西暦1624-1643年)の広島城下町の絵図である。広島城下の町の詳細な配置だけでなく、広島市南側には「きりしたん新開」「国泰寺新開」「舟入新開」など、当時に新しく「開墾」していた場所が記載されいる。また「6丁目 作場」「広瀬作場」など、耕作する場所、田畑を意味する「作場」の位置も記載されている。

    第三 賓歴九年  廣島町之圖  この絵図は宝暦九年(西暦1759年)に主に警備のための「惣門(総門)」について現在の広島駅周辺から広島城西側にある広瀬町まで、107か所の「惣門」を「取り除く」か「そのまま」にするか、もしくは「焼けてなくなってしまった門」なのかということを記載した絵図である。これは宝暦年間について詳しく記載している「廣島市史 第二巻」によると、絵図完成の前年、宝暦八年 に「宝暦の大火 (P.335-)」と呼ばれる広島市内での大火事があり、元安川から東側の地域がほとんど焼失してしまったため、焼失した地域の「惣門」の状態を確認するために描かれた絵図だと思われる。またこの絵図では各地区の「惣門」数量についても記述があり、「組」と呼ばれる火消しの地区グループごとに「惣門」の状態を上記3種に分類し、それぞれの惣門数も記載している。

    「廣島市史 第二巻」では、この「宝暦の大火」について(一)と(二)で詳細が記載されている。まず(一)では出火当日の様子が記載されており、それによると「宝暦の大火」は旧暦宝暦8年4月3日 午後4時頃に最初の出火があり、次の日の4月4日午前4時頃まで焼け続け、その後一旦鎮火した。しかし再度4月4日午後2時頃に再燃し、次の日の4月5日午後6時まで被害が広がった様子が克明に記載されている。また続く(二)では鎮火後、再建するまでの事柄が詳細に記載されている。「廣島市史 第二巻」では他にも全焼した町屋・屋敷、寺、社の数などの被害戸数や、被害のあった場所も「宝暦八年 大火の圖」という附図(絵図)にて記載されている。

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    廣島城内之圖

    第四 藩政時代  廣島城内之圖 藩政時代とは一般的には江戸時代のことを指し、廣島は藩で統治されていたため、「藩政時代」として絵図には記載されていると思われる。この絵図は「江戸時代の廣島城内(主に本丸・二の丸)の絵図」として描かれており、本丸は「部屋の場所」、「部屋の名称」などが記載されている。城内は非常に複雑な造りになっていることがうかがえるだけでなく、南側には多くの「蔵・御米蔵(おこめくら)」や「御馬場」と呼ばれる「馬場(ばば)」があった様子が描かれている。この「馬場(ばば)」は絵図によると長さ四十六間半、幅九間半とあり、(現在の寸法で言うと、長さ:約93m、幅:約25m)城内でも大きな場所を占めていたことがわかる。またこの「馬場(ばば)」のさらに南側、二の丸内には馬を管理する「御馬屋(厩:うまや)」があったことも記載され、この「御馬屋(厩:うまや)」には「御馬屋拾三疋立(おうまやじゅうさんびきたち)」と書かれており、少なくとも13頭の馬を厩(うまや)で管理できる施設があったことがわかる。

    第五 天明年間  廣島城下絵圖 天明年間であるということから西暦1781年-1788年の間の広島城下の様子を描いた絵図だと思われる。この絵図の特徴は絵図左上に

    ・「朱.御用地并御多門」
    ・「白.御家中屋敷」
    ・「薄色.●(原文読めず)領家」
    ・「藍.御塀并川筋水道」
    ・「黄.道筋」
    ・「草色.堤新開并空地藪地」
    ・「紫.寺」
    ・「薄墨.町屋并ニ新開方家」

    と記載があり、多彩な色で広島城下の様子を色分けした、絵図だということが分かる。さらにこの絵図より以前に描かれた第二 寛永年間 廣島城下絵圖(西暦1624-1643年)では、まだ「開拓地」や「作場(田畑))だった場所がこの時代までには開拓され「国泰寺村」や「広瀬村」など「村」になっていた様子が絵図からうかがえる。

    第六 弘化二年  廣島城下絵図 この絵図は弘化二年(西暦1845年)に描かれ、広島城があるデルタ地帯(三角州)より広範囲の広島城下を描いた絵図である。

    絵図によると北東側は「東原村」「西原村」「牛田山」「東照宮(現在の名称は広島東照宮)」、東側は「温品村」「矢賀村」「安芸郡 府中村」との記述があり、西側には「打越村内 小河内」「三滝観音(現在の名称は三瀧寺)」、さらに南側は、「舟入村」や名称は書いてはないが現在ではすでに陸続きになっている江波の「江波島 」が記載され、橋が架かっている様子まで描かれている。この絵図は、このような現存している地名の表記から、おおよそ「南北 約9キロ、東西 約6キロ」を1枚で描いており、当時の広範囲の広島市内を知るうえでは大変貴重な絵図と推測される。

    第七 明治十年  廣島市街之圖 この絵図は明治10年(西暦1877年)10月8日に「科部 市助」にて描かれた絵図だと思われる。この絵図では広島城下が「小區(小区)」と呼ばれる明治初期の地方行政区画の最小単位で区画されている様子が描かれ、広島城下は小區~十二小區という12区画で区画されていたことが分かる。また第六 弘化二年  廣島城下絵図と比較すると、さらに広範囲へ開拓が進みこの時代までには「江波島」も陸続きになっていることが絵図からうかがえる。

廣島市史 第四巻


広島市史 第4巻

廣島市史 第四巻

  • タイトル: 廣島市史  第四巻
  • 著 者 : 広島市 編
  • 出版者 : 広島市
  • 発行日 : 1925年(大正14年)12月15日
  • 識別子 : http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965811
  • 概 要 : 明治~大正時代の、広島市の行政機関、交通、衛生等行政全般について記されている。前付では当時の「広島城」や「広島市役所」などが写真で掲載されている。
    さらにこの「廣島市史 第四巻」では明治時代の広島市内の各町の沿革(歴史)も掲載されており、町名の由来などが記述されている。例えば、弊社の前身「増田兄弟活版所」があった「広島市十日市町」の沿革の欄には「【戸 百二十二 口 六百二】昔時毎月十日、市場を此地に開き、附近の村落より竹籠等の類を運び来り、以て市を立たるに由り此名あり、藝藩通志に九十戸、三百三十四人とあり、」とある(一部抜粋)。これは当時、十日市町は122戸 人口602名が住む町で、町名の由来は毎月10日に市場が開かれていたため、この町名になったことが分かる。このような町名に関する沿革(歴史)などが、当時の広島市全町名にわたって掲載されている。

最新実用生理学


最新実用生理学

最新実用生理学

  • タイトル: 最新実用生理学
  • 著 者 : 山崎良斎 著
  • 出版者 : 山崎良斎出版部
  • 発行日 : 1927年(昭和2年)12月30日
  • 識別子 : http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053314/2
  • 概 要 : 当時発刊されていた生理学の専門書と簡便な書物の中庸をいく、正確かつ実用的な生理学書を目指して書かれたもの。

最新鍼灸医学教科書 第三巻


最新鍼灸医学教科書 第3巻


最新鍼灸医学教科書 第三巻

  • タイトル: 最新鍼灸医学教科書 第三巻
  • 著 者 : 山崎良斎 著
  • 出版者 : 山崎良斎出版部
  • 発行日 : 1927年(昭和2年)12月30日
  • 識別子 : http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036777/2
  • 概 要 : 鍼灸医界に完全なる教科書をとの思いから3年を費やして編纂された。全3巻からなる本巻は、主に図譜・記録表を収録している。

廣島電氣沿革史 : 廣島電氣沿革史姉妹篇感想録共


広島電気沿革史 広島電気沿革史姉妹篇感想録共


廣島電氣沿革史 : 廣島電氣沿革史姉妹篇感想録共

  • タイトル: 廣島電氣沿革史:廣島電氣沿革史姉妹篇感想録共
  • 著 者 : 広島電気株式会社 編
  • 出版者 : 広島電気株式会社
  • 発行日 : 1932年(昭和9年)11月5日
  • 識別子 : http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235909
  • 概 要 : 広島電気株式会社の社員・社屋の豊富な写真と史記、データにより沿革を詳細に理解することができる。

 

感想録 : 廣島電氣沿革史 姉妹篇


感想録 広島電気沿革史姉妹篇

感想録 : 廣島電氣沿革史 姉妹篇

  • タイトル: 感想録 : 廣島電氣沿革史 姉妹篇
  • 著 者 : 広島電気株式会社 編
  • 出版者 : 広島電気株式会社
  • 発行日 : 1932年(昭和9年)11月5日
  • 識別子 : http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235821
  • 概 要 : 広島電気株式会社の沿革について、第3代社長 守屋義之氏の回顧により記されている。